お侍様 小劇場

   “声が、聞こえる”  “声を聞かせて”後日談 (お侍 番外編 54)
 



 緑したたる広大な敷地の中、赤レンガ造りの母屋は いかにも明治の初めの頃に手掛けられたる洋館といった趣きの、瀟洒な三階建ての建物で。アーチが支える庇つきの重厚な玄関には、アンティークなガス燈型の外灯が据えられ。両開きの二枚扉という正面玄関は、さながら英国貴族の館ででもあるかのよう。山荘やちょっとしたホテルのロビーを思わせる待ち合いは、二階へと連なる大階段を主役とするかのような吹き抜けで。これを一般家庭と見なすには、その価値観に随分な幅が必要となるのかも。リビングへと柔らかな明るさ取り込むべく、幾つも居並ぶ大きな窓は、枠の細い格子仕立てになっており。これもまた英国風の作りなのだろうが、不思議と和の建具、障子の風情を思わせもする。どの部屋も絨毯もしくは大理石の床に椅子とテーブルがセットされてあり、個人的な居室だろう個室には、アルコーブといって部屋や廊下など壁面の一部を少し後退させて作る窪みにソファーをはめ込んだ、ちょっとした隠し部屋のような空間があったりもし。天井にはスズランを吊るしたような笠つきの、元は白熱灯だったのだろう照明が下がる。広間には大きめの、腕が幾つもある燭台を模した、ランプのような照明。一室一室 天井も高く、奥行きも広々と余裕がある作り。紛うことなく洋風の作りであるのにも関わらず、レトロな空気は拭い去れず。それだけの風格を育んだは、ここに住まわった人々の紡いだ歴史が、豊かで暖かく、それでいて品格あふるる厳格なそれであったから。今世でも“宗家”と冠されているほどの家であり、事あらば各地から係累たちが いざやと集いし“格”も健在。つい先日も、そのような規模に間近い事態が出來したものの、家人らを案じさせた状態も何とか落ち着き。内も外も、元の静けさを取り戻しつつあった。




 唇というところは、食べ物を食べたり話をしたりする部位だが、そうまで物理的な使役の部位だってのに、いやいや、だから…なのか。随分と官能へも敏感であるようで。

 「……ん、んぅ」

 やわらかいものや甘いものは あまり好みではなかったはずだが、それを埋めるかのように、この甘さにだけは執着が尽きない。日頃の輪郭と有り様は、その意志の凛とした風情を映してかっちりしているのに、触れると驚くほど柔らかで。こんなに瑞々しいままなのに、その形が曖昧になるのがどうにも不思議で。こっちの唇はこうまで柔らかくはないはずだから、挟み込んで啄めるはずが。どんなに挟み込んで咥えようとしても、スルスルと逃げるばかりなのでつい、ムキになる。もはや逃れることはないと、誓ってくれた相手じゃあるが、思わぬ不意打ちは例外かも。現に、日頃の閨でのそれのように、素直にされるままになろうとしないで、その身を剥がそうともがいていたから。向かい合う肩を抱き、その向こうのしなやかな背中を抱きすくめ、両腕がかりで“どうか逃げないで”とこの胸へ封じ込めている貪欲さ。いやいや、これも一種の臆病さの現れか。

 「…ゃ…、ん…。」

 唇を合わせる間際、かすかな抵抗と共に“駄目…”という切なげな呟きが、切れ切れに聞こえたのが妙に煽情的で。なので、尚のこと抑えが利かなかったというのは、身勝手な言い訳だと判っている。だが、なかなか思うように手の届くところへ居続けてくれぬ、つれない相手なのだから。このくらいの不意打ちを構えてもしようがないというもの。やっと捕まえた愛しい人へ、想いの丈を伝えたいだけ。半月以上ぶりの口吸いを、ついつい辞められずにいるだけだ。

 「ん…ふ……。/////////」

 とはいえ、さすがにキリがない。抱き潰してしまわぬうち、何とか居残っていた理性を前頭葉に掻き集め。名残りは惜しいが…と、愛しい唇を解放すれば、

 「…………ん、////////」

 うっすらと伏せられたままな目許に、仄かな朱色。気に入りの細おもてが、陶然とした表情でゆるりと離れて。白い手がこちらの胸元に添えられたまま、それはゆっくりとすべり落ちる。気が抜けたのか、こちらへと凭れかかって来ており、逃れようともがいたことも忘れたかのよう。そこへと付け入る訳じゃあなかったが、支えてやりたくて手を延べれば、

 「………。」

 甘えるようにすりすりと、懐っこく身を添わせて来るのも無意識の反応だろう。こちらの胸板へ頬を寄せ、ほうと細い吐息をついて。収まりの良いところにようよう落ち着くと、そのままじっと…しかかって、

 「…っ、勘兵衛様。//////////」
 「なんだ。」

 やっと我に返ったらしく、抱えていた身がかすかに強ばったが、拒絶じゃないと判る範疇。見上げて来たお顔は、だが、それと判るほどには やや不服げで、
「一体、何のおつもりか。」
「つもりも何も。」
 ここは自室の寝台の上。脇卓には、ついさっきまで開いていたノートPC。今朝からのずっと、留守の間に進行した様々なイベントや会合、各役員の動きを整理し、今後の予定へ眸を通し…と、不在だった数日分を途轍もない速さで復旧中だったのだが。
『…っ。』
 さすがに疲れが蓄積したか、キリの良いところで作業を止めたそのまま、顰めた眉間を摘まんでいたところへ、飲み物でもどうかと入って来たのが七郎次であり。
『…お疲れなのですか?』
 根を詰めてはなりませぬと。作業を始めたおりから言い続けていた繰り言、再び繰り返し始めたので。
『……。』
 言葉の要らぬ目配せを、いやさ、ただただじっと見つめやっただけのこちらだのに。
『…?』
 何ですか?と問うように、その身を寝台の上へと進めて来る。誰もいないがそれでも秘したいか、内緒話をと持ちかけられているようだとでも思ったか。端に腰掛け、そのままその身を傾けて来たところ、するりと掻い込み、捕まえて。細い顎を指先で掬うと、そのままそおと食いついた勘兵衛だった…という次第。
「…まだ、抜糸もなさっておられぬのに。」
 PCでの作業どころじゃありませぬと、窘めるように言いつのれば、

 「仕方がなかろう。嬉しくてな。」

 何が嬉しいのかはあえて言わない勘兵衛だが、言われずともそのくらいは通じ、

 「〜〜〜。/////」

 それが証拠に、たちまち視線と表情を揺らす。これまでのように“苦しげな困惑“ではなくの、含羞みをのみ滲ませた“どんなお顔でいれば良い?”という狼狽だと判るから。
「…すまぬな。調子にのってしもうた。」
 きれいな額へ、柔らかなキスを一つ。もう強引にはしないと、言う代わりに腕での束縛もゆるめると、

 「…。」

 それを追うように、向こうから…遠慮がちに凭れ直して来る愛らしさ。萎えさせた撫で肩を見下ろして、

  少し痩せたか?

 気苦労からのことならば、すまぬなと続けるつもりが、

  ……そんなシチは お嫌ですか?
  馬鹿な。

 とんだ返事へ すぐさま応じ、ふんと鼻を鳴らすように言い返せば。不安げに見上げて来ていた青い双眸がほっとして和らぐ。そうしてそのまま、再び凭れかかるように寄り添うと、

  お戻りにならぬ間は ずっと

 どうにかなってしまいそうになっておりました、と。消え入りそうな声で囁くものだから。

 「…そうか。」

 もうそのような案じはさせぬと。離さぬと言う代わり、背中を抱いた手、うなじへ添えて。束ねた金絲をほどきつつ、胸元へと掻い込む相手の、羽のように頼りない温みの愛しさよ。なので、


  ――― しち。


 声をかければ。こちらの懐ろで大人しく縮こまっていた身が、その翅をゆるりと広げるようにして、なめらかに伸ばされたしなやかな腕。こちらの背中へと回されたその先の手が、シャツを握り込むようにし、すがって来るのが…得も言われず嬉しくてならぬ。

  ああやっと。
  されるがままじゃあない、
  自らの想いを、向けてくれたのだ、と。

 求めに応じ、従い尽くすというのではなくて。彼の意志でもて、強く求めてくれるのが、どれほどのこと心へと染み入る歓びなことか。そして、そのような至悦感は、七郎次にも同様のもの。

 「……。/////////」

 子を成すことより先の話として、いつ唐突に逝ってしまわれるか判らない状況にある人なのかを、今更ながらに思い知らされた。勘兵衛の両親がそうだったし、覚えてもない自分の父も、久蔵の両親だってそうではなかったか。七郎次がそれを失念していたのは、それだけ厳重に護られていたから。切ないまでの辛さ、負っていた気でいた自分が、実は…いかに平穏な考えでいたのかを知った彼であり。そんな苛酷な立場を強いられている当事者であるからこそ、痛切に今を大切にしたいとする勘兵衛なのだと、ようやっと気がつきもした。生きている証しがほしいと思って何が悪いかと、そうと言いたがってただけなのに、なのに…愛しい存在からさえも、孤高に立てと突き放されていたようなもの。

  「……勘兵衛様。」

 小さな声で、呼んでみれば。んん?と深色の眼差しが上がってこちらを見やる。背中まで伸ばされた蓬髪のかかる肩に、ちらりと覗いた包帯の白が痛々しくて。だが、

 「……。」
 「いかがした?」

 ハッとし、呼んでみただけですと口ごもれば、くすすと微笑うお顔のやさしさよ。知的なのに精悍な、男臭いお顔の目尻に、こんな笑い方をなさると少しほどしわが出来る。それへと見とれてしまった…なんて言えなくて。なんでもないですと言いつつ、何とも言えぬ不器用さをあらわにしたような、幼い笑みを頬張って。恥ずかしそうに、困ったように眉を下げる女房が、

  「…そのような顔をするのは。」
  「はい?////////」

 反則だと思うほど、やっぱり愛しくてならぬ勘兵衛様だったようである。





  〜Fine〜 09.05.30.


  *補足しますと、表向きに勤めていた例の商社へは、
   事故に遭って大怪我を負ったので、当分は出社も無理。
   なので、室長職には迅速に後継を据え、業務に障りのない対処を執り、
   機密をいろいろ知っている身ではありますが、
   何でしたら他の社に雇われぬという念書を一筆書いても良いからと、
   退社も已なしと思ってた勘兵衛様でしたが。

   『PCでの在宅業務というのはこなせないか?』
   『……は?』

   あれほどの手腕をそうそう手放しやしまへんでということか。
   続投の旨が知らされただけだったようでございます。
   となると、まだ当分は東京住まい…が続くことになる訳で。

   「………。////////」
   「久蔵殿? どしました?」
   「木曽へ帰されぬのが嬉しいのだろうさ。」

    「………………あ。//////////」

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